ホーム > 71番~80番, さ行の作者 > 崇徳院(すとくいん)


崇徳院(すとくいん)

崇徳院(すとくいん)の画像

小倉百人一首 077番

(上)
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の

(下)
われても末に あはむとぞ思う

▼音声

読み
せをはやみ いわにせかるる たきがわの
われてもすえに あわんとぞおもう


現代語訳

流れの速い川は、水が岩によって二つに別れようとも最後にはまた一つに戻るように、私達もまた何処かで逢えるはずです。

解釈

仲を裂かれてもいずれは一緒になるだろうという恋の歌


作者とプロフィール

名前:崇徳院(すとくいん)
性別:男性
生没年:1119~1164年
75代天皇。
崇徳院は保元の乱により讃岐(香川県)に流されて、髪はのびほうだい、爪を切ることもなく、怒りに燃えた顔つきで一生を終えたと伝えられる。

雑学・豆知識

元歌は崇徳天皇本人が詠んだ「久安六年御百首」の「ゆきなやみ 岩にせかるる滝川の われても末にあはんとぞ思ふ」で、
「詞花集」に収録するにあたって改作したようです。


Amazon、楽天で百人一首商品をチェック

amazonで見る 楽天で見る

 

百人一首ピックアップ

中納言朝忠(ちゅうなごんあさただ)

(上)
逢うことの 絶えてしなくは なかなかに

(下)
人をも身をも 恨みざらまし

猿丸大夫(さるまるたゆう)

(上)
奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の

(下)
声きくときぞ 秋はかなしき

鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん)

(上)
世の中は つねにもがもな 渚こぐ

(下)
あまの小舟の 綱手かなしも

法性寺入道前関白太政大臣
(ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだいじょうだいじん)

(上)
わたの原 こぎ出でてみれば 久方の

(下)
雲ゐにまがふ 沖つ白波

貞信公(ていしんこう)

(上)
小倉山 峰のもみぢ葉 こころあらば

(下)
今ひとたびの みゆき待たなむ

後鳥羽院(ごとばのいん)

(上)
人も惜し 人も恨めし あぢきなく

(下)
世を思ふゆゑに 物思ふ身は